プロ風水師必見!家康を産んだ陰宅山龍

徳川家康の始祖は、松平太郎左衛門親氏(ちかうじ)、現在は豊田市の山合いの里、松平郷が出自です。家康から数えて9代前の話。

松平郷には、松平東照宮もあり、今でも多くの参拝客で賑わいます。

今日(2018年1月2日)は、彼等を祀る、その松平東照宮にお参りにいきました。

目的は、松平東照宮と家康の先祖達のお墓の風水鑑定です。風水の生徒さんと一緒に行ってきました。

松平郷の山中にある、その墓所は、
山龍の背中に、見事に乗っていました。
さらには、龍背にある背びれまでが形になって残っています。

専門的になりますが、そのお墓の向きは、
64方位を更に6分割するところの
「離卦」の「上爻」でした。

「離卦」の「上爻」の意味は、
火の激しく燃えるがごとく攻めて、賊の頭の首を獲り、功績をあげる意味です。
しかし、殺戮が目的ではなく、国を治めるための征伐の為に、その手下の者たちは許して逃がします(義理易的意味。風水は象数易と言われていますが)。
そのような意味を持って墓所が造営されていました。

そして、この山龍が向かう方向に、立てられているのが、松平東照宮です。
松平東照宮は、その龍を迎え入れる格好で、
作られています。

そのような易卦を使ってお墓を作る風水が、
江戸時代より以前にあったのか?なかったのか?

一般的には、風水は中国発祥で、
易卦を使う風水は、ずっと新しいとするのが定説ですが・・・。

私自身は、寺社仏閣などの、自身の鑑定経験より、それより、ずっと以前から、あったであろうと思っています。





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